お知らせ

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ジョン万次郎と協力の会の活動を結ぶにあたって

―今日までの経過と解散に至るまでについて―

日本が近代国家に生まれ変わり、世界に伍していけるようになるのに、ジョン万次郎こと中濱万次郎はどれだけ大きな役割を果たしたことでしょう。

歴史はとかく為政者の側から見た目で記録され後世に伝えられていきますが、実はその背後には大勢の人たちの献身的で地道な働きがあったということを、常に想像力を働かせて見ていかなければなりません。

土佐の漁師・万次郎少年が辿った人生は、波乱万丈に富んだ冒険譚としても私たちを大いに楽しませてくれます。しかし、私たちが忘れてならないのは、万次郎少年の賢さに着目して教育の機会を与え、世界を見る目を育んでくれたホイットフィールド船長と、温かく迎え入れてくれた米国・フェアヘーブンという町の存在です。

8年間に及んだ「協力の会」の活動は、皆さまの熱いご支援により、ジョン万次郎とホイットフィールド船長、そしてフェアヘーブンに刻まれた歴史の足跡を保存することで所期の目的を果たすことができました。

私たちが取り組んできたこの活動から、歴史に学ぶことの意味の一端を汲み取っていただければ、これに勝る喜びはありません。「協力の会」もこれで使命を果たしたと考え、本年の 5 月を以て 8 年余に渡った活動を結びたいと思います。

2016年 8月吉日

一般財団法人
「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」協力の会

理事長 日野原重明

 長い間多くの方々にご支援頂きありがとうこざいました。
万次郎ニュースアーカイブにhttp://www.manjiro.info/news/
これまでの活動の記録を掲載致しました。

一般財団法人「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」協力の会

 日米両国の関係者のご支援、ご協力により「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」が開設され、地元フェアヘーブンに寄贈されました。記念館の管理運営は現地のNGO(従来の土佐清水市との姉妹都市委員会が改組された「ホイットフィールド・万次郎友好協会」)が行いますが、この記念館を日米友好の証としてどのように活用し、運営していくかがこれからの大きな課題です。

 「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」開設の会は記念館完成という所期の目的を達成し解散しますが、開設の会の理念と残余財産を受け継いで記念館の運営を日本からサポートするために新たに一般財団法人「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」協力の会が設立されました。

 この新しい組織は、日本の近代化に献身的な働きをした中濱万次郎の功績を顕彰し、また万次郎に米国での教育の機会を与えたホイットフィールド船長の好意に感謝するために開設された記念館が末永く日米友好の証となるように支援・協力活動を通じ、国際交流を通じた国際相互理解の促進と併せて児童・青少年の健全な育成に寄与することを目的とします。この目的を達成するために開設の会の日野原重明発起人代表が新しい組織の理事長に、また記念館開設に関わった発起人の方々等が評議員、監事、理事に就任され、記念館の管理運営を行う現地NGOと連絡を密にして、記念館が末永く日米友好の証となるように支援・協力活動を行うことになります。

 記念館開設に対する皆様の暖かいご支援、ご協力に改めて御礼申し上げますとともに、引き続き記念館への変わらなぬご厚情を賜りたくどうぞよろしくお願い申し上げます。

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「米大陸の東と西へ」  日米友好・万次郎ツアー
「米大陸の東と西へ」  日米友好・万次郎ツアー

 2013年の「日野原重明先生と行く日米友好・万次郎ツアー」は、参加者47名がフェアヘーブン(Aコース:10月4日~9日)とサンフランシスコ(Bコース:10月9日~15日)の、米大陸の東と西に分かれて時間差で米国入りし、サンフランシスコで合流する旅となりました。日野原理事長はBコースに参加されました。 Aコースに参加したのは4人で、10月4日に成田空港を発ってボストンへ直行。5日にフェアヘーブンで開かれた万次郎祭りに参加しました。フェアヘーブンの万次郎祭りは,地元のボランチア団体「ホイットフィールド・万次郎友好協会」の努力で回を重ねるごとに盛んになって、いまや町の名物行事です。

サンフランシスコで集合して合流写真

サンフランシスコで集合して合流写真

 フェアヘーブンへの旅を終えたAコースツアーの4人は,このあとボストンとニューヨーク経由でアメリカ大陸を横断し、10月9日にサンフランシスコで日本から到着したBコースのグループの45人と合流しました。 総勢47人になった万次郎ツアーは、2台のバスに分乗して美しいサンフランシスコの町と近郊を巡りました。10月10日、ゴールデンゲート公園を訪問。公園の端の海から切り立った崖の上に立つと、目の前は狭い海峡になっていて、左手に太平洋が広がり、右手にはゴールデンゲートブリッジ(金門橋)とその奥にサンフランシスコ湾が眺められます。1860年3月17日、日本から太平洋を初めて横断してたどりついた咸臨丸はこの崖の下の海峡を通ってサンフランシスコ湾へと入って行ったことでしょう。 

金発見場所

金を発見した記念碑にて

サンフランシスコの旅のハイライトはなんと言ってもゴールドラッシュの跡を訪ねたことです。 10月12日朝、ツアーの一行を乗せた2台のバスはサンフランシスコを発ってハイウェーを北東に向かいました。目的地は約200キロ離れた山の中のコロマという町です。私たちを載せた2台のバスは、ほぼサクラメント川に沿って続くハイウェイを走り、万次郎が1週間ほどかけてたどり着いたコロマに2時間半ほどで到着しました。コロマのゴールドラッシュが始まった一帯は、いまはカリフォルニアの州立公園となり「マーシャル・ゴールド・ディスカバリー州立歴史公園」と名づけられています。公園のそばをシエラネバダ山脈を水源とするアメリカ川の支流が流れていて、金を発見した製材所のあった川べりには記念碑が立っていました。 私たちが訪ねた日は、丁度「ゴールドラッシュ・ライブ」と名づけた年に一度のお祭りの真っ最中で、川ベリの広場にゴールドラッシュのころの生活が再現されて賑わっていました。

 サンフランシスコからコロマへの旅は、万次郎がゴールドラッシュで身を置いた同じ空間に私たち自身も実際に身を置いて、彼の行動をよりよく理解するまたとない機会になりました。